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東京地方裁判所八王子支部 昭和61年(ワ)1160号 判決

主文

一  被告は各原告に対し、各金二〇一七万九〇三七円及びこれに対する昭和六〇年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、各原告に対し、各金五八一九万〇二六八円及びこれに対する昭和六〇年一一月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

亡伊藤敦士(以下「敦士」という。)は原告兼亡伊藤敦士訴訟承継人原告伊藤公明(以下「原告公明」という。)と同伊藤節子(以下「原告節子」という。)の長男として昭和六〇年一一月一九日出生し、昭和六二年九月二一日死亡した。

被告は、町田市民病院(以下「被告病院」という。)を開設している。

2  本件医療事故の発生

原告節子は、昭和五三年九月、第一子を妊娠中に胎盤早期剥離のため帝王切開したが、死産し、昭和五八年七月八日、第二子を被告病院において自然分娩により出産した。その後、三度目の妊娠のため、昭和六〇年四月頃から被告病院において診察を受け、昭和六〇年一一月一八日、被告病院に入院し、翌一九日、陣痛促進剤の投与を受けたが、その際、子宮破裂が起こり、その後帝王切開により敦士を出産した。子宮破裂から娩出までの約三〇分間、敦士は酸欠状態にあったため脳性麻痺となり(以下「本件医療事故」という。)、出生以来被告病院に入院していたが、昭和六二年九月二一日死亡した。

3  被告の責任

原告節子は、昭和六〇年一一月一八日、被告病院に入院し、被告病院の医師(以下「被告医師」という。)は、翌一九日午前一〇時、子宮口二センチメートル開大、子宮頚管展退度三〇パーセント、腹緊が時々生じる時点でネオメトロ(ゴム製バルーン)を子宮に挿入し、同一〇時三〇分五パーセントブドウ糖五〇〇ミリリットルに陣痛促進剤プロナルゴンF三〇〇〇γ(プロスタグランディン製剤)及びアトニンO(オキシトシン製剤)五単位を加えて一分間一〇滴の速度で点滴した。

同一〇時四五分に陣痛が規則的に始まり、同一一時二〇分子宮頚管熟化促進剤マイリス二〇〇ミリグラムを静注、午後〇時五〇分ネオメトロ抜去し、同一時五〇分点滴速度を一分間二〇滴としたところ、同二時三〇分、原告節子は腹部の痛みが強くなってきたと訴え、同二時四〇分胎児心音が突然一分間七〇に減少したため、被告医師は子宮破裂と判断し、その後、帝王切開により三時一七分敦士が娩出された。

被告医師には、原告節子に陣痛促進剤を使用するについて以下の過失があったものである。

(一) 帝王切開既往歴妊婦に対して陣痛促進剤を使用した過失

陣痛促進剤であるオキシトシン、プロスタグランディンには血圧上昇、吐気、呼吸困難、過強陣痛、子宮破裂等の副作用があり、他方、帝王切開の既往のある妊婦については、子宮に瘢痕があることから子宮破裂の発生の可能性が高いため、陣痛促進剤の使用は禁忌とされているにもかかわらず、被告医師はそれを使用した。

(二)陣痛促進剤の使用方法についての過失

分娩誘発を行う場合には、子宮頚管成熟が充分に進行して分娩の準備状態が整っていることが必要であり、これを数量的に示すビショップスコアが六点以上であることが望ましいとされている。従って、準備が未だ整っていない場合には、分娩誘発に先立って軟産道の軟化、子宮口の開大等のための人工的措置を行うことが必要である。また、陣痛促進剤の使用にあたっては、投与量が過量にならないように充分に注意し、投与中慎重に妊婦の状態を観察すべきである。更に、オキシトシン及びプロスタグランディンを併用投与することはその副作用の点から避けるべきであるし、仮に併用するとしても、単独投与の場合より投与量を減らすことが必要である。

本件において、原告節子には帝王切開の既往があったのであるから、陣痛促進剤の使用に際しては、より慎重であるべきであるにもかかわらず、被告医師はビショップスコアが四点以下の時点で原告節子に陣痛促進剤を投与し、また、オキシトシンとプロスタグランディンをそれぞれ単独で使用する場合と同量を併用投与し、更に陣痛促進剤使用後に至って初めて、頚管成熟剤であるマイリスを投与して、子宮に相当の生理的負担を及ぼした。

なお、点滴を増量する場合は徐々に行わなければならず、三〇分ないし一時間に毎分五滴を様子を見ながら増量するべきであるのに、被告医師は毎分一〇滴から一挙に毎分二〇滴に増やしたため、その二〇分後から過強陣痛を招来した。

(三) 説明義務・承諾義務違反、適応の不存在

本件において、原告節子には陣痛促進剤を使用すべき医学的・社会的適応はなく、その使用にあたっては、陣痛促進剤の危険性等につき原告節子に対し充分に説明すべきであるのに、被告医師は同原告に対し何ら説明せず、単に執務時間中に分娩に至った方が都合がよいとの医療機関側の都合のみから原告節子に陣痛促進剤を使用した。

4  因果関係

被告の被用者(履行補助者)である被告病院の医師らには、敦士の出産に当たり、前項記載の各過失があり、そのため原告節子に子宮破裂が生じ、その結果敦士は重度の脳性麻痺となった。敦士は昭和六二年九月二一日死亡したものである。

5  損害

(一) 敦士は死亡により次の損害を被った。

(1) 逸失利益 三八三八万〇五三七円

昭和六二年度賃金センサス産業計、企業規模計、学歴計男子労働者の平均収入額は四四二万五八〇〇円であり、生活費割合を五割として、一八才から六七才までの逸失利益を新ホフマン方式により中間利息を控除して計算したものである。

四二二万五八〇〇円×〇・五×一七・三四四=三八三八万〇五三七円

(2) 慰謝料 三〇〇〇万円

敦士は出生後、本件医療事故のために入院生活を続け、入院中に死亡したものである。入院中及びその死亡による慰謝料としては三〇〇〇万円が相当である。

(二) 原告公明及び同節子の被った損害

(1) 原告公明及び同節子は敦士の父母として、敦士の死亡により右(一)記載の損害賠償請求権の二分の一を相続によりそれぞれ取得した。

(2) 敦士が脳性麻痺の状態で出生し、その後死亡したことにより、原告公明及び同節子は多大な精神的損害を受けたが、これを慰謝するのにそれぞれ二〇〇〇万円をもってするのが相当である。

(三) 弁護士費用

被告は任意に右各損害賠償債務の履行をしないので、原告らは、原告ら訴訟代理人弁護士に本件訴訟手続きを委任し、その費用のうちそれぞれ四〇〇万円が本件医療事故との間に相当因果関係がある。

6  よって、原告らは、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権または診療契約上の債務不履行による損害賠償請求権に基づきそれぞれ五八一九万〇二六八円及びこれに対する履行期の翌日である昭和六〇年一一月二〇日以降支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2記載の事実は認める。

2  同3冒頭に記載の事実は認める。

同3(一)記載の事実のうち、帝王切開の既往のある妊婦に対する陣痛促進剤の使用が禁忌であることは否認する。

同3(二)記載の事実のうち、陣痛誘発時期のビショップスコアが六ないし七点が望ましいとされていることは認め、陣痛促進剤が過量に投与されたとの点は否認する。プロスタグランディンF2αは頚管熟化作用も有しているため、妊婦三八週以後では子宮頚管の成熟の如何に拘わらず陣痛誘発が可能であり、オキシトシン(アトニンO)の使用については、経産婦では子宮頚管の成熟度がビショップスコアでみて四点以上であればよく、両剤の併用により頚管未成熟な分娩誘発例においてかなりの成功率を収めることができるとされている。また、前陣痛がある場合には、ビショップスコアが五ないし六点でも子宮筋の感受性は亢進しているものと判断できるものである。更に、子宮頚管の成熟度に関する判断は医師の主観的裁量的判断に委ねられている部分が大きく、客観的定型的基準はない。本件において、原告節子は昭和六〇年一一月一八日、ビショップスコアが五点であり、前陣痛と考えられる腹緊があったのであるから、原告節子に対する陣痛促進剤の使用時期は相当であった。また、陣痛促進剤の使用と子宮頚管成熟度との関係は分娩自体が成功するか否かの関係で問題となるのであって、子宮破裂との間に因果関係はない。

なお、陣痛誘発のためオキシトシン製剤とプロスタグランディン製剤を併用することは珍しいことではなく、その使用方法、使用量は医療機関の裁量によるものである。陣痛促進剤の使用中の管理については、一定の速度で注入されるように、インフュージョンポンプ(一滴が〇・〇六六ミリリットル)を使用して有効量の保持と調節を行い、分娩監視装置により母体と胎児の管理を併行して行うと共に、使用効果の判定を陣痛の頻度、ビショップスコア等で行うことが必要である。本件において、原告節子の分娩には経験豊かな助産婦が立ち会っており、分娩監視装置で胎児心音及び陣痛曲線をモニターしていた。その上、陣痛促進剤の投与にあたっては、投与量が過量にならないよう、インフュージョンポンプを使用し、アトニンO五単位とプロナルゴンF一アンプルを五パーセントブドウ糖溶液五〇〇ミリリットルに混合し、一分間一〇滴の速度で投与を開始し、三時間二〇分後に一分間二〇滴の速度に増量したもので、投与量も相当であった。そして、陣痛促進剤使用開始一五分後に規則的に陣痛が発来し、その後は胎児心音に異状無く順調に分娩が進行していたもので、分娩管理においても欠けるところはなかった。原告節子の子宮破裂は無症状破裂で、子宮破裂の定型的な臨床症状を伴わないため、事前に破裂を察知することができない。

同3(三)原告節子は帝王切開の既往を有するので、経膣分娩経過中に胎児切迫仮死等の産科的救急事態が発生する危険があり、その場合には母体及び胎児の救命のため直ちに帝王切開を行わなければならないが、病院としてその手術を人的物的設備の完備した状態でできるよう、計画的に平日の日中分娩が行われる必要があった。

また、被告病院の漆原医師は、昭和六〇年一一月一三日、原告節子を診察した際、分娩誘発可能状態にあると診断し、原告節子が早めに入院することを希望していたこともあり、同月一八日に入院させることにしたが、その際、原告節子に対し、薬を使用して分娩を行うかもしれない旨の説明をした。更に、同月一八日、原告節子が入院した際、道躰医師は原告節子を診察し、分娩誘発可能状態にあると判断し、原告節子に対し、翌一九日薬で分娩にもって行く旨説明した。原告節子は、翌一九日分娩誘発の経過中及び分娩経過において、何らの質問もせず分娩に臨んでいたものであるから、前記の説明に対して承諾していたものというべきである。

3  同4、5は争う。

第三  証拠関係〈証略〉

理由

一  本件医療事故

請求原因1(当事者)及び同2(本件医療事故の発生)記載の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  本件医療事故の発生に至る経過

〈証拠〉を総合すると以下の事実が認められる。

1  原告節子は昭和六〇年四月二日、被告病院で診察を受け、妊娠していること及び出産予定日が同年一一月二四日である旨の診断を受け、その後、被告病院において妊婦検診を受けていたが、その間、特に異常はみられなかった。昭和六〇年一一月六日、原告節子は被告病院において道躰医師の診察を受けたが、その際、原告節子は看護婦に対し夫が不在がちのため陣痛が発来してもすぐに病院に来ることができないので早めに入院したい旨申し出た。同月一三日、原告節子は被告病院において漆原医師の診察を受けたが、漆原医師は、原告節子が早期の入院を希望していることを知り、また、当日の原告節子のビショップスコアが六点となり、充分に分娩可能だと判断したこともあって、原告節子を一一月一八日に入院させ、分娩誘発することを決めた。

原告節子は同月一八日被告病院に入院し、同日、道躰医師の診察を受けた。このとき、妊娠三九週になっており、子宮口三ないし四センチメートル開大、展退度四〇ないし五〇パーセント、先進部は胎児の頭部であり、坐骨棘線から三センチメートルの位置にあり、胎児の頭部は固定していない状態であった。道躰医師は翌一九日分娩誘発することに決め、誘発の方法として、陣痛促進剤であるアトニンO(オキシトシン)五単位とプロスタルモンF(プロスタグランディンF2α)一〇〇〇γを使用すること、当日の原告節子の様子によってはネオメトロを使用することを指示した。また、同日午後一時一〇分に、原告節子に対してノンストレステストを行ったが、その結果に特に異常は認められなかった。同日は時々腹緊がみられ、被告病院の医師はこれを前陣痛であると判断していた。

2  翌一九日午前八時、原告節子は浣腸をして陣痛室にはいり、午前一〇時に久志本医師が内診したところ、子宮口二センチメートル開大、展退度三〇パーセントと前日の状態より子宮口の開大度が低くなっており、ビショップスコアは四点であった。久志本医師の指示により、原告節子に対しネオメトロを挿入した後、午前一〇時二〇分、分娩監視装置を装着し、午前一〇時三〇分、五パーセントブドウ糖溶液にアトニンO五単位とプロナルゴンF(プロスタグランディンF2α)三〇〇〇γを入れて、一分間に一〇滴の速さで点滴を開始したところ、午前一〇時四五分、規則的に陣痛が発来した。同医師は午前一一時二〇分、原告節子に頚管軟化剤であるマイリス二〇〇ミリリットルを投与した。午後零時一〇分、原告節子が起き上がって食事をしたい旨申し出たため、分娩監視装置を外して食事をさせた。午後零時五〇分になって、ネオメトロが抜け、午後零時五五分から原告節子に分娩監視装置を再び装着したが、陣痛曲線が低くなったことや経産婦にしては分娩の進行状況が遅いことなどを考慮して、午後一時五〇分には点滴の量を一分間二〇滴に増やした。その直後から、原告節子の陣痛の間隔が短くなり、午後二時一五分、原告節子は右側臥位となったが、このころから、陣痛曲線に乱れが生じ(なお、証人久志本は、午後二時一五分頃から陣痛曲線に変化が生じたのは原告節子が右側臥位になったため、陣痛を機械で測定できなくなったためと述べているが、その後再び陣痛曲線が測定されるようになったから、右証言は採用できない。)、午後二時四〇分には、それまでずっと良好を保ってきた胎児心音が低下したため、原告節子に付き添っていた山中助産婦は、原告節子に左側臥位をとらせ、酸素吸入を開始した。午後二時四五分には原告節子に二〇〇グラムの出血があり、午後二時四八分、山中助産婦は原告節子を分娩室に移して久志本医師にその旨連絡した。午後二時五〇分、久志本医師は原告節子を内診した結果、児頭が上がっていることや胎児の心音の測定結果等から子宮破裂であると診断して、緊急帝王切開手術をすることを決定した。午後三時、原告節子を手術室に移して帝王切開手術を行い、午後三時一七分、敦士を娩出したが、敦士は体重二八五二グラムで、アプガールスコア一点の重度仮死の状態であった。また、原告節子については、以前の帝王切開手術の瘢痕部が裂けていたため、午後四時三五分、子宮を摘出して手術を終了した。

三  被告病院の責任

1  まず、原告らは、被告医師が帝王切開の既往のある原告節子に対して陣痛促進剤を使用して分娩誘発を行ったことに過失があると主張するので、この点について検討する。

原本の存在及び〈証拠〉によれば、帝王切開の既往がある場合には、オキシトシンの使用は禁忌とする意見があること、プロスタグランディンについてもその使用を避けるべきとする意見のあることが認められる一方、原本の存在及び〈証拠〉によれば、帝王切開の既往のあることは、陣痛促進剤を使用する上で、必ずしも禁忌であるとは言えず慎重に適量が使用されるのであれば、陣痛促進剤を使用してもよい旨の意見もあることが認められる。結局、本件医療事故発生当時において、一般に帝王切開の既往のある妊婦について陣痛促進剤を使用することが禁忌であるとまでは言えない状況にあったものとするのが相当である。

2  次に陣痛促進剤使用の適応及び説明義務違反の点について検討する。

〈証拠〉によれば、分娩誘発の医学的適応としては重症妊娠中毒症、過期妊娠、前置胎盤、胎盤機能不全等が指摘されており、また、社会的適応として医療機関側が夜間・休日の分娩を避けたい場合、緊急時の処置の取りやすい時間帯に分娩を終了させたい場合や妊婦の希望する場合等が挙げられていることが認められる。右の説によれば、原告節子は医学的適応には該当していないことになる。

そこで、本件において社会的適応があったかについて検討する。〈証拠〉によれば以下の事実が認められる。帝王切開の既往のある場合には、常に瘢痕化した切開部分が裂ける可能性があり、帝王切開の既往のある妊婦について経膣分娩を行うか、帝王切開するかは産婦人科医の間で意見の分かれるところであり、現実には経膣分娩を行うのは困難であるとする意見も強い。他方、帝王切開の既往のある妊婦について安易に再度の帝王切開を繰り返すことは避けるべきであるとの意見も見受けられる。そして、経膣分娩を選択した場合、うまくゆかず緊急帝王切開手術を行わなければならない事態が生ずることも往々にしてあることが予想されるから緊急帝王切開手術を迅速に行いうる人的物的設備が整っている昼間や、休日でない日に分娩にもってゆくため、陣痛促進剤によって分娩を誘発するケースも多い。

従って、緊急の処置の取りやすい時間帯に分娩を終わらせるために、帝王切開の既往のある妊婦に対して経膣分娩を選択し、その際陣痛促進剤を使用することは、一般的に社会的適応があると考えられる。ところで、〈証拠〉によれば、原告節子は第一回目の出産体験と、予定日のころに夫が不在がちであるとの理由から、少し早い時期に入院して、陣痛の自然な到来を待ちたいと希望していたところ、原告節子が早期入院を希望していると知った漆原医師は原告節子に対し、「入院してお産をしましょう」と述べたことが認められるが、原告節子は自然分娩のための入院と理解し、同医師は計画分娩のつもりで述べたことが窺われ、双方の理解に齟齬があったことが推認される。

この場合、同医師が、原告節子が計画分娩を了承したものと理解したのはやむえないというべきであり、また、〈証拠〉によれば、前回帝王切開を行っている妊婦について、陣痛促進剤による分娩誘発を行った場合に子宮破裂の発生する確率はわずかであることが認められるのであるから、この際、同医師がさらに、子宮破裂の発生する可能性についてまで説明を要するものとは言えない。

以上の認定したところを総合すると、本件において原告節子に分娩誘発する社会的適応はあったというべきであり、また、被告に説明義務違反はなかったものというべきである。

3  次に、原告らは、被告病院の医師の陣痛促進剤の使用方法等に過失があると主張するのでこの点について検討する。

(一)  〈証拠〉によれば医学的に分娩誘発に関し、次のような見解が一般的であると認められる。すなわち一般に分娩は子宮頚管等の軟産道が軟化した後、規則的な陣痛により胎児を分娩するに至るものであるが、陣痛促進剤の使用にあたっては子宮頚管が十分に成熟しているか否かが、分娩誘発の成否を分ける目安となり、初産、経産を区別せず、ビショップスコアが六点以上あることが望ましいとされている。オキシトシンの使用にあたっては、オキシトシンが自然に近い規則的な陣痛を起こすのみであって、頚管の熟化の作用を有しないため、使用時に既に子宮頚管が熟化していることが必要であって、これが充分でない場合には前処理としてラミナリア、メトロイリンテル等の機械的刺激や頚管軟化剤であるマイリスの投与を誘発に先立ってする必要がある。プロスタグランディンは子宮頚管の熟化作用も有しているため、未成熟の場合にも効果があるとされている。

本件においては、前判示のとおり陣痛促進剤の使用前にネオメトロを挿入しているものの、誘発開始にはビショップスコアは四点であり、オキシトシン、プロスタグランディンF2αの投与後に頚管熟化剤であるマイリスを投与している。そうすると、本件は薬剤の投与の順序から見て、分娩の準備状態が充分に整った時点での誘発であったと言うには疑問があり、頚管の成熟が充分でない状態で強い陣痛が発来すれば、子宮や頚管等に負担が懸かることは容易に予想しうるところである。

なお、原告節子に前陣痛と見られる腹緊があったことは前記認定のとおりであるが、〈証拠〉によれば、前陣痛の有無は子宮筋の感受性の問題であり、オキシトシンテストをする必要があったかとの観点において問題とされるものであって、子宮頚管の成熟を示すものではないと認められる。

(二)  次に〈証拠〉によれば、陣痛促進剤の投与方法及び投与量について、医学的には次の見解が一般的であるものと認められる。すなわち、誘発剤を点滴静注により投与する場合、オキシトシンは五単位を五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルに溶かして投与する。投与開始時の注入速度は一分間三ないし二〇滴と様々であるが、増量する場合には、一五ないし三〇分毎に三ないし五滴ずつ増量する。プロスタグランディンF2αは二〇〇〇ないし三〇〇〇μgを五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルに溶かして投与する。投与開始時の注入速度は一分間五ないし三〇滴と幅があるが、一〇滴とするものが多く、増量する場合には一五ないし三〇分毎に五滴ずつ増量する。

(三)  〈証拠〉によれば、オキシトシンとプロスタグランディンの併用については、次の事実が認められる。すなわち、併用は昭和五二年頃から行われるようになった新しい使用方法であり、利点としては誘発成功率が高いこと、オキシトシンとプロスタグランディンのそれぞれの量を減らして副作用を軽減できることが挙げられる一方、欠点として、両者の副作用に注意しなければならず、投与方法及び投与量が未だ確立していないことが指摘されている。更に、プロスタグランディンにはオキシトシンの効果を増強させる作用があり、また、一旦、細胞内に入ると長く細胞内に留まって潜在的収縮促進作用をもち続け、その後に投与された薬剤の量で起こる本来の効果以上の収縮増強が見られることも指摘され、敦士の出産当時においても、混合投与は絶対避けるべきとする意見もあった。

(四)  以上(一)ないし(三)を総合して検討すると、帝王切開の既往のある場合には、その瘢痕部が裂けて子宮破裂が発生する可能性が常にあると言えるため、陣痛促進剤の使用について、禁忌とする意見さえあることは前判示のとおりである。

従って、禁忌とはいえないとの判断に立った場合でも陣痛促進剤を使用する場合には、極めて慎重であることが必要であるということができる。具体的には、医師が常時妊婦の状態を慎重に観察し、陣痛促進剤の量をより少量の投与から始め、陣痛が微弱であれば少量ずつその投与量を増やし、併用投与する場合には、更に一層慎重に行うことが必要である。

そこで本件についてみると、前判示のとおり、被告医師は原告節子に対して、オキシトシンとプロスタグランディンを併用し、それぞれ単独使用する場合と同量を使用し、さらに増量するにあたって、その投与量を一気に二倍にしている。また、証人道躰の証言によれば、投与量については本件誘発の前日、道躰医師がオキシトシン五単位とプロスタルモンF一〇〇〇γを指示したが、これは原告節子の頚管が未成熟であったため、オキシトシンだけでなくプロスタグランディンを加えた方がよいと考えたためであり、安全性を考慮してプロスタグランディンの量についてはプロスタルモンFを一〇〇〇γとし、その後の分娩の進行状況をみて、追加しようと考えたことが認められる。しかしながら前記認定によると、誘発の当日、久志本医師がオキシトシン五単位とプロナルゴンF三〇〇〇γに変更したものである。(証人久志本の証言によると、プロスタルモンFとプロナルゴンFはいずれもプロスタグランディンF2αの薬品名であって、同一の薬剤であり、その使用量も同一であることが認められる。)そうすると、被告病院の医師には、第一に、子宮頚管が充分に成熟していない時点でオキシトシンを含む陣痛促進剤を投与して、子宮内圧を高めたと推認されること、第二に、徐々にでなく一気に陣痛促進剤の投与量を倍にしたこと、第三に、オキシトシンとプロスタグランディンを併用する場合には、投与量については極めて慎重な配慮が必要であるのにこれを欠いたこと、以上の点について過失があったものと認めるべきである。

四  因果関係

次に、子宮破裂と、陣痛促進剤の投与との間の因果関係について検討する。

〈証拠〉によれば、医師・医学研究者の間ではオキシトシン、プロスタグランディンはいずれも、その副作用として子宮破裂をおこすことがあるとの見解が存在することが認められ、帝王切開の既往のある妊婦は子宮の瘢痕部が裂ける可能性を否定できないことから、オキシトシン、プロスタグランディンを単独で使用することについても、その危険性が指摘されており、禁忌とする意見さえ存在し、したがって、オキシトシン、プロスタグランディンを投与する際には、両者の相乗作用も認められるため、投与方法及び投与量について慎重であることが必要であることは前判示のとおりである。

しかるに、本件においては、前記認定のとおり、未だその投与方法及び投与量が確立されておらず、投与の結果についての研究も充分とは言いがたい併用投与を行ったうえ、投与量についてそれぞれ単独で使用するのと同じ量を投与し、増量する際には、通常の妊婦に対し単独で投与する場合にすら一分間五滴とされているのに、その二倍の増量を行い、その増量の直後から陣痛の間隔が短かくなり、その二五分後には陣痛曲線に乱れが生じていることは前判示のとおりである。この時間的接着性を考慮すれば、本件において、原告節子に生じた子宮破裂と陣痛促進剤の投与との間には因果関係があるものと認めるのが相当である。

五  損害

1  敦士の逸失利益

敦士が昭和六〇年一一月一九日生まれの男子であり、昭和六二年九月二一日死亡したことは当事者間に争いがない。本件医療事故により脳性麻痺となり、その結果死亡することがなければ、敦士は将来順調に成長し、一八才で高等学校卒業後六七才に達するまで稼働し、その間収入を得られた蓋然性が高い。

そこで、敦士の逸失利益は、毎年の収入額を昭和六〇年賃金センサス第一表、産業計、企業規模計、学歴計男子労働者全年令平均給与欄の記載により認められる毎月決まって支給する現金給与額、年間賞与その他の特別給与額をもとに算出された四二二万八一〇〇円とし、生活費割合を五割とし、右金額から年五分の割合による中間利息をライプニッツ方式により控除して次の数式により計算した、一六七五万八〇七四円とするのが相当である。

四二二万八一〇〇円×〇・五×(一九・二〇一〇-一一・二七四〇)=一六七五万八〇七四円

2  敦士の慰謝料

敦士は、出生時の本件医療事故により、脳性麻痺となり、その後、一度も退院することなく被告病院に入院中に死亡したものであって、この間、敦士が被った精神的損害を慰謝するには一五〇〇万円をもってするのが相当と思料する。

3  敦士が昭和六二年九月二一日死亡したこと、原告公明及び同節子が敦士の両親であることは当事者間に争いがなく、以上の事実によると、原告公明及び同節子は敦士の被告に対する損害賠償請求権を二分の一ずつの割合で相続したものであることが認められる。

また、原告公明及び同節子は敦士の両親として、敦士が本件医療事故により死亡するに至ったことについて、精神的苦痛を被っていることは明らかであるところ、原告公明及び同節子の右苦痛を慰謝するにはそれぞれ二五〇万円をもってするのが相当である。

4  原告らが本件訴訟の提起、遂行のため、弁護士に訴訟の委任をしたことは、当裁判所に顕著な事実であって、本件訴訟の難易度、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件医療事故と相当因果関係を認められる損害として被告に負担させるべき弁護士費用は原告らそれぞれにつき一八〇万円とするのが相当である。

5  以上1ないし4を合計すると、原告らの損害額合計は四〇三五万八〇七四円となる。

六  結び

以上によると、原告らの被告に対する本訴請求はそれぞれ二〇一七万九〇三七円とこれに対する本件医療事故の翌日である昭和六〇年一一月二〇日から右支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する

(裁判長裁判官 落合 威 裁判官 稲葉耶季 裁判官 石栗正子)

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